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Posted by つくばちゃんねるブログ at

2014年11月17日

ポツダム宣言の受け入れによって天皇陛下が終戦の詔勅(玉音放送)を国民に知らせる

天皇陛下が連合国に対してポツダム宣言の無条件降伏を受け入れました。

当時の日本は何かを議論しても結論というのは基本的にはでませんでした。当時の
日本国民はアメリカと戦争をしたかったのです。その行為がどのくらい無謀な事かは
あまり知らなかったと思います。アメリカと戦争を避けようとした人たちは当時何人も
暗殺されかけたりしています。そのような背景があったので陸軍はより一層発言力を
増していきます。日本政府が軍部をコントロールする事は不可能になっていました。
軍部をコントロールする事ができるのは法律上天皇だけでした。憲法がそもそもその
ような決まりになっている以上好戦的になった軍部が独走するのは当たり前なのです。
負けるとわかっている戦争も始めてしまって大敗北をしてしまいますし。アメリカは日本
の軍部を解体しましたが帝国主義に走ってしまった軍部を解体するのは当たり前の話です。  

Posted by 太平洋スペシャル at 19:26Comments(0)

2014年11月17日

太平洋戦争で始まった統率の外道と言われる神風特攻隊について

20歳代の若者が指導者の命令によって次々と神風特攻隊となって突撃していったのです。

当時日本が追いつめられていました。そこで発案されたのが特攻隊です。関行男中佐が初陣を
飾りました。特攻隊は最初は強制はしない事が前提でしたが軍隊で指揮官から打診をされたら
いくら強制ではないといわれても断る事はできないのです。みんな死ぬことが怖いわけではない
のです。戦場に行った時点で死ぬ覚悟はできているのです。当時はとういう教育を受けていたの
です。しかし死ねと言われて死ぬのは人である以上納得ができないでしょう。決死隊なら士気が
上がると思いますが必死隊は士気は下がるでしょう。死んでこいといわれて喜んで死ぬ人間は
いないでしょう。当時のナチスドイツですら特攻はしていません。これは効果的ではないからです。
そんな事を実施した日本の軍部は一体何を考えていたのか意味不明です。しかしこの特攻を
経験したアメリカは日本人の精神力を恐れて国の教育を訂正したわけです。
  

Posted by 太平洋スペシャル at 19:09Comments(0)

2014年11月17日

最後に発見された日本兵小野田寛郎氏とは一体何者か?

戦後最後に発見された日本兵小野田寛郎氏の戦いの動画をyoutubeで発見しました。

小野田寛郎氏が戦後最後に発見された日本兵です。今の若者たちは小野田寛郎氏の
事をご存知でしょうか?知っている人はすごく少ないと思います。私も若い頃は知りま
せんでした。この動画の最後で小野田氏が言っている言葉が印象的です。戦前の
日本の教育と戦後の日本の教育は大きく違う点があるという事です。それは何故
かといえば日本の恐ろしさを身をもって知ったアメリカは教育を変えたのです。変え
た大きな部分というのは精神力であります。今の日本は単純に勉学するという事が
最重点で道徳や精神力などの教育が足りないと思います。これから少子高齢化が
本格的に進むというのにこれではどうなるのか簡単に想像ができます。  

Posted by 太平洋スペシャル at 18:54Comments(0)

2014年11月17日

絶望のビルマ!悔やんでも悔やみきれない太平洋戦争時のインパール作戦

日本の意思決定をする指揮官がいかにバカだったのかもう失望せざるをえません。

インパール作戦は太平洋戦争の中でもっとも無謀と言われたこの作戦はなぜ
実行に移されたのか?そもそも太平洋戦争の作戦自体が無謀な作戦が少な
くありませんでした。というのも日本の教育は精神力に重点がおかれていたか
らであります。たしかに精神力は非常に重要ですがそれだけを重視すると待
っているのは地獄でしかありません。この無謀な作戦を実施させた指導者は
客観的にみても極刑に値すると思います。極刑でも非常に軽いと思います。
それ以上は拷問になってしまうので倫理的な観点から見て実施はできないで
しょう。もし連合国によって戦争指導者が裁かれなかったら今までの日本の
流れから極めて軽い処罰で終わっていた可能性が大きいです。  

Posted by 太平洋スペシャル at 18:42Comments(0)

2014年11月17日

ちょっと考えればわかる事がわからない?資源確保の無謀な南方作戦

太平洋戦争時の戦略は自給自足でありそのためには南方の資源地域の征服が必要であった!

太平洋戦争の開戦によって南方方面を征服する事は当時の日本の軍事力と世界情勢を
考えれば不可能な事ではありませんでした。しかし問題はその征服した地域からどうやって
日本に資源を送りこむのかという事なのです。距離が離れすぎているのが最大の問題で
現実的に敵の反撃が始まると日本に輸送するのはほぼ不可能になってしまいました。
当時の日本は資源がいかに重要かよくわかっていたはずですが読みが甘すぎたのです。
その甘い考えは日本の最高指導者機関とは到底思えない適当さです。もう溜息しかでません。
  

Posted by 太平洋スペシャル at 18:32Comments(0)